マスターの思い
酒と肴と子ども食堂 あら川が
子ども食堂を始めたきっかけは
一人でも多くの子どもに
あたたかい食事と安心できる
時間を届けたいと思ったことでした。
お腹が空いていることを子どもはなかなか
言葉にできません。
家で一人で食事をすること。
忙しい毎日の中で食事が
簡単に済まされてしまうこと。
誰かと一緒に「いただきます」と
言う機会が少なくなっていること。
そうした小さな寂しさは
外からは見えにくいものです。
でも毎日の食事は
体を育てるだけのものではありません。
誰かが自分のために用意してくれたごはんを食べること。
あたたかい汁物を口にしてほっとすること。
苦手なものに少し挑戦してみること。
「おいしかった」と笑えること。
その一つひとつが
子どもたちの心の中に
安心の記憶として残っていくのだと思います。
あら川は
海鮮を中心とした居酒屋です。
毎朝市場で魚を見て
その日いちばん良いものを選び
仕込みをして
お客様に料理としてお出ししています。
その中で
この新鮮な魚や旬の食材を
地域の子どもたちにも食べてもらえたら
ただ空腹を満たすだけではない
大切な食の経験になるのではないかと考えました。
あら川の子ども食堂は
一般的な子ども食堂とは少し違います。
ここは居酒屋の中にある子ども食堂です。
お酒を楽しむ大人のお客様がいて
そのすぐ近くで
子どもたちがあたたかい食事をする。
一見すると少し不思議に感じるかもしれません。
けれど私たちは
そこにこそ
この場所らしい意味があると感じています。
昔の食卓には
子どもだけの時間と
大人だけの時間が
今ほどきっぱり分かれていませんでした。
家の中にも
近所にも
商店にも
食卓にも
いろいろな世代の人がいて
大人たちの会話や笑い声のそばで
子どもたちは自然にごはんを食べていました。
誰かが「よく食べたね」と声をかける。
誰かが「気をつけて帰るんだよ」と見送る。
特別なことではないけれど
そうした何気ない関わりが
子どもたちを包んでいました。
あら川が目指しているのは
そんな昭和の食卓のような
人の気配があるあたたかい居場所です。
静かすぎる場所でもなく
きれいに整いすぎた場所でもなく
大人の笑い声があり
料理の湯気があり
魚を煮る香りがあり
誰かの「おかえり」に近い空気がある場所。
子どもたちは
その中で食事をします。
そして地域の大人たちは
無理に関わるのではなく
自然な距離で子どもたちを見守ります。
それは
押しつけの支援ではありません。
同じ地域で暮らす者同士が
同じ空間で食事をしながら
少しずつ顔を知り
少しずつ気にかけ合うことです。
「今日も来たね」
「たくさん食べたね」
「またおいでね」
その一言が
子どもにとって
自分はここにいていいんだと思える支えになることがあります。
魚には骨があります。
食べるのに少し手間がかかることもあります。
けれどその手間の中には
命をいただくことへの気づきがあります。
ゆっくり箸を進めること。
食材をよく見ること。
残さず食べようとすること。
そうした時間も含めて
子どもたちにとっての食育になると感じています。
子ども食堂という名前には
支援や福祉という意味があります。
けれどあら川が目指しているのは
特別な人だけが来る場所ではありません。
お腹が空いたときに来られる場所。
誰かに会いたいときに顔を出せる場所。
少し元気がない日でも
あたたかいごはんを食べて帰れる場所。
そして大人たちが
子どもたちを自然に見守れる場所です。
食事をする人。
支援してくださる人。
見守ってくださる人。
応援の言葉を届けてくださる人。
それぞれの想いが少しずつ重なり
一枚の葉っぱが集まって
大きな木になるように
この場所は育ってきました。
私たちは
子どもたちに立派な言葉を伝えるよりも
まずは一膳のごはんを丁寧に届けたいと思っています。
あたたかい食事は
人の心をほどきます。
おいしい記憶は
いつかその子が大人になったとき
誰かに優しくする力になるかもしれません。
あら川の子ども食堂は
地域の中で小さく灯るあかりのような場所でありたい。
忙しい毎日の中で
ふと立ち寄れる場所。
一人ではないと感じられる場所。
「また来たい」と思える場所。
昭和の食卓のようなぬくもりと
今の時代に必要な地域の見守りの輪を
この新小岩のまちで
これからも大切に育てていきます。